ボドゲの作り方

どこまで自分を出すかどうか問題

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エンタメのクリエイティブをやっていると、直面する問題として、どこまで自分を出すかというのがある。

ものをつくる場合、迷ったときには、右にいくか、左にいくか、誰かがその審美眼で判断して成果物を完成させないといけない。王道はあるが、それは絶対ではないし、正解は分からない。状況も無限にある。最終的には、個人の好き、嫌いの物差しで判断するしかない。

既にある程度、モックアップが出来上がっていて「2つの内、どちらか選んでください」という分かりやすい状況ならまだ良い。

「とにかく面白い企画を、出してくれ」なんて時は、無限に選択肢がある。

ここで、自分をどこまで出すか。

ある商業作家に言われた言葉

10年以上前の話で、痛くも痒くもないので白状してしまうと、僕はプロの小説家を目指していた。

あるプロ作家(ボードゲーム業界とは関係ない方だが、さすがに名前は出せない)に、原稿を見てもらえる機会があった。

「大変客観的に執筆されている」

それを聞いて、僕は喜んだ。若書きの作家にありがちなこととして、「自分の想いだけで突っ走って、支離滅裂なものになっている、読者のことが見えていない」というのを小説作法の本で読んでいたからだ。

だが、氏の次の言葉を聞いて、愕然とした。

「だが、平淡だ。なにもない」

ほんとうは、もっと違う言葉だったのだが、要約すれば自分を守りすぎている。クリエイターとしては致命的だ。

形式に落とし込もうという誘惑から、いかに逃れるか

ものごとには、<形式>というものがある。
たとえば、物語で言うならば、

・悪人が出てきて、倒される
・挫折して、何かの努力をして、乗り越える
・銃が登場して、引き金が引かれる

観客が期待する形式がある。そこにいかに抗って自分を出すか(あるいは抗わないこともひとつの自分の表現だ)。

これは生き方という側面でも、同じかもしれない。
<常識>にとらわれずに、自分の頭で考えろ、ということだろうか。

問題は、考えるということだ。イージーに<形式>に逃げたりしないこと。

とかく、これが難しい。。。

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